ジェシー・ジェームズの暗殺: 裏の窓から眺めてみれば
監督:アンドリュー・ドミニク
出演:ブラッド・ピット/ケイシー・アフレック/メアリー=ルイーズ・パーカー/サム・ロックウェル/ジェレミー・レナー/ポール・シュナイダー/ギャレット・ディラハント/アリソン・エリオット/マイケル・パークス/ズーイー・デシャネル/ブルックリン・プルー/ダスティン・ボリンガー/サム・シェパード/ヒュー・ロス(ナレーション)
30点満点中16点=監3/話2/出3/芸4/技4
TVシリーズ - ミセスです。
【英雄的犯罪者は、いかにして死んだか】
南北戦争直後、1880年代のアメリカ。兄フランクと弟ジェシーのジェームズ兄弟は、仲間たちを引き連れ、銀行強盗、列車強盗、殺人……と数々の悪事を働いていた。ジェシーに強い憧れを抱くボブ・フォードは、自分にも大きな仕事ができると、なんとか兄弟に取り入ろうとする。だが周囲からは馬鹿にされてばかり。やがて仲間たちの関係に亀裂が入り、冷酷なジェシーに対する恐怖もはびこる中、ボブはある行動を取る。
(2007年 アメリカ/カナダ)
★ネタバレを含みます★
【作法に不満】
たとえば冒頭で、なかなか仲間たちに溶け込めないでいるボブの様子をサラリと描くなど、見せてわからせる上手さはある。唐突の銃撃戦、子どもに対して凶暴性をむき出しにするジェシーなど緊迫感も漂わせる。
が、全体では冗漫だ。
なぜゴシップ
普通なら2秒ですむところを4秒で、というイメージ。おかげで160分もの長尺になった。
1つずつのシークエンス、あるいは各人の表情をたっぷりと見せることで観客と"こいつら"との距離を近づけようという意図はわかる。でも、時間をかけるだけではジェシーやボブの内面に迫ることはできない。やはり、そこは適切なエピソードや構成、アクセントの効いた演出によって成すべきことではなかったか。
まず、ジェシーの人となりがほとんど描かれない。「ジェシー・ジェームズを知っていること」と「彼を英雄視するのか犯罪者なのか、観客の中に確固とした価値観があること」が前提となっている。例によってブラピは正体不明の笑みを浮かべるだけ、周囲はやたらと怯えるだけ。
アメリカ人にいきなり『勧進帳』や弁慶の立ち往生を見せてもピンと来ないはず。それと同じように、こちらもジェシー・ジェームズという人物をどう捉えるべきか、材料を与えられぬままお話だけが進んでいく。いかにも不親切な作りだ。
以下niaveになる方法
いや、本作のテーマを考えればジェシーを"よくわからない人物"として存在させること自体は正解かも知れない。
だってこの映画って「人間なんて、わからない」がテーマだから。大物に見せたくて虚勢を張る悪党たち、ガラス越しや窓越しの画面の多用、あることないこと書き立てる新聞記事、噂だけに振り回されての行動、ねじれて伝わるプロフィール……。ラスト近くでは「人は、自分自身をも偽る」ということが示される。
つまり、そもそも人間には「誰かについて判断できる正確な材料」なんて与えられていないわけだ。
ならば、こんどは逆にジェシーを、もっともっと"よくわからない人物"に仕立て上げるべきだった、といえる。ボブのいないところで起きた出来事はごっそりカット、それによってジェシーの不可解性を増強させ、でもボブとジェシーの会話は増やす。そうしてボブや一味どもがジェシーに対して抱いていく恐怖と不信感と憧れとを、観客が共有できるような作りにすべきだったはずだ。
そうすることで、ボブに銃をプレゼントするジェシーの中に芽生えていた覚悟、そんな覚悟を抱いてしまう人間の不可思議さ、英雄的犯罪者といえど結局は雲のように"流れ"には逆らえないという事実、ボブが「選ばれた」というセリフに潜む皮肉、選ばれたことの必然性……などが、よりショッキングなものとして観る者に伝わったのではないか。
込められているテーマ/メッセージには可能性と興味とを感じるが、ただただ"たっぷりと"という方法論に頼ったかのような、甘い作りに不満を覚える作品である。
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