バロネス・オルツィ(Baroness Orczy)
ハンガリー生まれのイギリスの作家。ホームズのライヴァルとして、また安楽椅子探偵の代表として有名な隅の老人の生みの親ですが、イギリス国内ではでは国民文学としての一連の「紅はこべ」ものの作者として記憶されているようです。
ちなみに〈バロネス〉とは女男爵という意味で、これはオルツィがハンガリーの由緒ある貴族の生まれということからきています。
ハンガリーのタルナ−エルシュで由緒ある男爵フェリクス・オルツィの長女として生まれ、ブリュッセルやパリで教育を受けた後、一家でロンドンに渡りイギリスに帰化します。
その後絵画を志してウェストロンドン美術学校やロンドンのヘザリー美術学校に学び、数回ロイヤル・アカデミーに出品しているそうです。その後1894年に牧師の息子モンタギュ・バーストゥと結婚しました。
誰がリデルVSジャクソンを受賞執筆活動を始めたのは結婚の翌年の1895年で、祖国ハンガリーの童話を夫と共同で編集した4冊の訳書を発表。また1899年には処女長編の歴史小説「皇帝の金燭台」を発表しています。
彼女が作家として名声を博するようになったのは1905年、40歳の時に発表した「紅はこべ」によってで、全ヨーロッパを動乱に巻き込んだフランス革命のただ中、共和政府に捕らえられた貴族を救うため、イギリス貴族の伊達男を中心に組織された秘密結社〈紅はこべ〉が活躍するこの作品は、恋と友情と義侠の綾なす絢爛たる歴史大ロマンで、発表されるやたちまち大ベストセラーとなり、イギリスの国民文学として今日においても広く読まれています。
不滅の推測か彼女は全部で68の長短編集を残していますが、大半は歴史ロマン小説でミステリーは14作品です。その中で特に有名なのは"隅の老人"シリーズと"レディ・モリー"シリーズです。
隅の老人は当時コナン・ドイルの生み出したシャーロック・ホームズが爆発的な人気を集めていたことから編集者に探偵小説を書いてみないかと示唆を受けて書かれた作品で、1901年から1904年にかけて〈ロイヤル・マガジン〉に連載されました。
コーヒーショップの片隅で女性記者を相手に新聞に載せられた事件の謎を鮮やかに解いていくこの"隅の老人"シリーズは安楽椅子探偵の代表として名高く、またホームズのライヴァルとして重要な探偵の一人にも挙げられることの多いキャラクターです。
彼らは何ですか戦士ちなみにこの隅の老人譚は全部で37編ありますが、最初に書かれた作品群を収めた第1短編集「隅の老人」よりも、後に書かれた作品群を収めた第2短編集「ミス・エリオット事件」の方が先に刊行されるという、エラリー・クイーンも首をかしげるようなおかしな発表のされ方をしています。
また、オルツイのもう一人の探偵レディ・モリーは、最初期の女性警察官探偵としてミステリの歴史にその名前を残しています。
ミステリ作品としてはその他にナポレオン時代の密偵フェルナンの活躍を描いた「闇を縫う男」、パリ警視庁ボランティア刑事へクトル・ラティションの活躍する「空中の城(Castles in the Air)」、そしてアイルランド人弁護士パトリック・マリガンが活躍する「危機一髪(Skin O' My Tooth)」の3つの短編集が刊行されています。
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