飄(つむじ風):
小沢一郎人格破壊攻撃は破綻しているが・・・
いまだに、事実を見極めずに、
小沢攻撃に金魚の糞のように追随している人々は多い!!
それは論拠を無くした、
単なる好き嫌いの感情論だ!!
まあ、好き嫌いはどうしようもないから、どうぞ勝手にと言う他はないが・・・・・。
なら、一人静かに感情を納得させて居れば、別に問題はないのである。ところが、時々、屁理屈を並べて広言するから、世迷い事を拡大させる騒音となっている。
これがマスメディアに煽られた所謂『B層』と言われる人々ならどうしようもないが、そうでもない人士にもそれがいるから厄介な話だ。
<何で、俺が悪く言われるのかなあ???ワカンナイ!>
1951年にジョージ·サムナーに生まれたイギリスのミュージシャン
きっと嫌いなのだろうけれど、それならそうと言えば良いだけだ。それは仕方がない。それも自由な選択だから、他人にどうこう言われる筋合いはあるまい。
ところが、
小沢悪玉論を打つ人に中には、全く、事実認識を埒外にしているケースが多い。攻撃と言えば、検察が有名ではあるが、一応、起訴を前提に攻撃をする訳であるから、実体の解明を抜きには出来ない。それがとんだ横車で、頓挫しかけている。事実上、頓挫しているが、さらにウソの報告書を提出してまで、横車を押している状況だ。インチキ検察審査会を招集して起訴まで持ち込んだ話がそれだ。
これ� ��『正当派』検察による小沢人格攻撃というわけである。破綻しているが、裁判所まで荷担するから、この国は本当に危うい。
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つまり、実体の解明において、何も出なかったと言うことは、無実であると言うことだ。にもかかわらず、実体を検証しないで、小沢排撃を標榜する人々が、人士にも少なからず居るのである。これが疑問である。誰とは言わないが、確かに存在する。
はたして、何らかの根拠を突き止めているというなら、それを提示するべきだ。。
だが、それを示せた事例をかつて知らない。
出自がどうの、秘書がどうのでは、単なる伝聞、憶測の域を出ない。人脈もそう、金脈もそう、そういう話山ほどある。あほらしい。こういう類は、後世に急に態度を変えて、『小沢は悪人だったが、政治力はあった� ��』などと言う人士であろう。
一体何において、そんなに小沢憎しと考えるのか、よく聞いたり、読んだりしてみるが、全く分からない。一つも確たる論拠が見出せた試しが無いと言うことである。
結局は、
誰が街に熱い時間夏を歌う
何かに措いても反りが合わないのだろうという風にしか結論出来ない。
ある人物は、何かを進言したりした際、一蹴されたとか、剣もホロロだったとか、そういう話に行き当たる。それも気の毒ではあるが、それは人に話す内容でもない。返す言葉があろうとしたら、『それは、お前が悪いからだろう。』言うほかない程度の出来事だ。
だから、小沢憎しの人士の大方は、小沢一郎を調べていないか、全く知らないか、拒否しているか、さもなくば、好きか嫌いしかない程度の問題だと思っている。
そういうことからして、私は、今の今まで一貫して、小沢一郎無実論者である。
【転載開始】「日本一新運動」の原点―96(臨時増刊号)
日本一新の会・代表 平野 貞夫
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