2012年5月30日水曜日


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番(こうきょうきょくだい9ばん)ニ短調作品125(ドイツ語: Sinfonie Nr. 9 d-moll op. 125)は、ベートーヴェンの9番目にして最後の交響曲である(第10番もあるが未完成)。副題として「合唱付き」が付されることも多い。また日本では親しみを込めて「第九」(だいく)とも呼ばれる。第4楽章は独唱および合唱を伴って演奏され、歌詞にはシラーの詩『歓喜に寄す』が用いられる。第4楽章の主題は『歓喜の歌』としても親しまれている。古典派の以前のあらゆる音楽の集大成ともいえるような総合性を備えると同時に、来るべきロマン派音楽の時代の道しるべとなった記念碑的な大作である。

第4楽章の「歓喜」の主題は欧州評議会において「欧州の歌」としてヨーロッパ全体を称える歌として採択されているほか、欧州連合においても連合における統一性を象徴するものとして採択されている。このほか、コソボ共和国の暫定国歌として制定、ローデシアの国歌[1]としても制定されていた。ベルリン国立図書館所蔵の自筆譜資料は2001年にユネスコの『世界の記憶』(『世界記録遺産』)リストに登録された。

元来、交響曲とはソナタの形式で書かれた器楽のための楽曲で、第1楽章がソナタ、第2楽章が緩徐楽章、第3楽章がメヌエット、第4楽章がソナタやロンドという4楽章制の形式が一般的であった。ベートーヴェンは交響曲の第3楽章にスケルツォを導入したり、交響曲第6番では5楽章制・擬似音による風景描写を試みたが、交響曲第9番では第2楽章をスケルツォとする代わりに第3楽章に瞑想的で宗教的精神性をもった緩徐楽章を置き、最後の第4楽章に4人の独唱と混声合唱を導入した。ゆえに「合唱付き」(Choral[2]と呼ばれることもあるが、ドイツ語圏では副題は付けず、単に「交響曲第9番」とされることが多い。第4楽章の旋律は有名な「歓喜の歌(喜びの歌)」で、フリードリヒ・フォン・シラーの詩『歓喜に寄す』から3分の1程度を抜粋し、一部ベートーヴェンが編集した上で曲をつけたものである。交響曲に声楽が使用されたのはこの曲が必ずしも初めてではなく、ペーター・フォン・ヴィンターによる『戦争交響曲』などの前例があるものの、真に効果的に使用されたのは初めてである。

なお、ベートーヴェン以降も声楽付き交響曲は珍しい存在であり続けた。ベルリオーズやメンデルスゾーン、リストなどが交響曲で声楽を使用しているが、声楽付き交響曲が一般的になるのは第九から70年後、マーラーの『復活交響曲』が作曲された頃からであった。

まぎれもなくこの交響曲は、ベートーヴェンの傑作の一つである。大規模な編成や1時間を超える長大な演奏時間、それまでの交響曲でほとんど使用されなかった、ティンパニ以外の打楽器(シンバルやトライアングルなど)の使用、ドイツ・ロマン派の萌芽を思わせる瞑想的で長大な緩徐楽章(第3楽章)の存在、そして独唱や混声合唱の導入など、彼自身のものも含むそれ以前の交響曲の常識を打ち破った大胆な要素を多く持ち、シューベルトやブラームス、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチなど、後の交響曲作曲家たちに多大な影響を与えた。また、ベートーヴェンの型破りな精神を受け継いだワーグナーやリストは、交響曲という殻そのものを破り捨て全く新しいジャンルを開拓した。このように、交響曲作曲家以外� �与えた影響も大きい。

日本では、年末になると各地で第九のコンサートが開かれる。近年では、単に演奏を聴くだけではなく、実際に合唱を行う、参加型のコンサートも増えつつある。日本での圧倒的な人気の一方で、ヨーロッパにおいては、オーケストラに加え独唱者と合唱団を必要とするこの曲の演奏回数は必ずしも多くない。

[編集] 演奏時間

全体の演奏時間は、1980年代頃までの伝統的なモダン楽器による演奏では70分前後が主流であった。ベートーヴェンの交響曲中で最長である。

「初期のCDの記録時間が約74分であることは、この曲が1枚のCDに収まるようにとの配慮の下で決められた」とする説がある[3]

ウィーン初演での演奏時間は、明確な数字が明らかではないが、1825年3月21日にロンドンで『第九』を初演したジョージ・スマートがベートーヴェンと会見した際の質疑応答の断片がベートーヴェンの会話帳に残っており、63分という数字がロンドン初演時の演奏時間とされている[4]

CD時代に入って、それまで重要視されて来なかった楽譜(普及版)のテンポ指示を遵守して演奏された『第九』が複数出現し、ベンジャミン・ザンダー(英語版)指揮ボストン・フィルハーモニー管弦楽団(英語版)による演奏は全曲で58分を切った。研究家が考証を行なった古楽器による演奏では大概63分程度であり、ほぼ妥当なテンポと見なされている。ただし、さらに研究が進んでテンポの数字も代筆されたものという事が判明し、ベートーヴェンが望んだテンポについての議論が決着したわけではない。

[編集] 作曲の経緯・初演

ベートーヴェンがシラーの詞『歓喜に寄す』にいたく感動し、曲をつけようと思い立ったのは、1792年のことである。ベートーヴェンは当時22歳でまだ交響曲第1番も作曲していない時期であり、ベートーヴェンが長きに渡って構想を温めていたことがわかる。ただし、この時点ではこの詞を交響曲に使用する予定はなかったとされる。

交響曲第7番から3年程度を経た1815年頃から作曲が開始された。さらに1817年、ロンドンのフィルハーモニック協会から交響曲の作曲の委嘱を受け、これをきっかけに本格的に作曲を開始したものと見られる。実際に交響曲第9番の作曲が始まったのはこの頃だが、ベートーヴェンは異なる作品に何度も旋律を使いまわしているため、部分的にはさらに以前までさかのぼることができる。

当初、第4楽章は声楽を含まない器楽のみの編成とされる予定であり、声楽を取り入れたものは別に作曲を予定していた『ドイツ交響曲』(交響曲第10番)に使用される予定だった。しかしさまざまな事情によって、交響曲を2つ作ることを諦めて2つの交響曲のアイディアを統合し、現在のような形となった。歓喜の歌の旋律が作られたのは1822年頃のことである。なお、当初作曲されていた第4楽章の旋律は、のちに弦楽四重奏曲第15番の第5楽章に流用された。

1824年に初稿が完成。そこから初演までに何度か改訂され、1824年5月7日に初演(後述)。初演以後も改訂が続けられている。

初演に携わった管弦楽・合唱のメンバーはいずれもアマチュア混成で、管楽器は倍の編成(木管のみか金管を含むか諸説ある)、弦楽器奏者も50人ほどで、管弦楽だけで80 - 90名の大編成だった。合唱はパート譜が40部作成された事が判っており、原典版を編集したジョナサン・デルマーは「合唱団は40人」としているが、劇場付きの合唱団が少年・男声合唱団総勢66名という記述が会話帳にあり、楽譜1冊を2人で見たとすれば「80人」となる[5]

楽譜は1826年にショット社より出版された。

この作品は、当初はロシア皇帝アレクサンドル1世に献呈される予定だったが、崩御によりフリードリヒ・ヴィルヘルム3世に献呈された。

[編集] 初演

初演は1824年5月7日、ベートーヴェン立会いの下、ウィーンのケルントネル門劇場においてミサ・ソレムニスの「キリエ」「クレド」「アニュス・ディ」、「献堂式」序曲とともに初演された。指揮はミヒャエル・ウムラウフ(Michael Umlauf )。

当時のウィーンではロッシーニのオペラが流行していたため、ベートーヴェンは当初、ウィーンの聴衆には自分の音楽がそぐわないと判断し、ベルリンでの初演を希望していた。だが、ベートーヴェンを支援していたリヒノフスキー伯爵らの計らいでウィーンでの初演を求める嘆願書が作られ、ベートーヴェンはベルリン初演を思い留めた。

ベートーヴェンは当時既に聴力を失っていたため、ウムラウフが正指揮者として、ベートーヴェンは各楽章のテンポを指示する役目で指揮台に上がった。ベートーヴェン自身は初演は失敗だったと思い、演奏後も聴衆の方を向くことができず、また拍手も聞こえなかったため、聴衆の喝采に気がつかなかった。見かねたアルト歌手のカロリーネ・ウンガーがベートーヴェンの手を取って聴衆の方を向かせ、はじめて拍手を見ることができた、という逸話がある。観衆が熱狂し、アンコールでは2度も第2楽章が演奏され、3度目のアンコールを行おうとして兵に止められたという話まで残っている。

このように「好評」の逸話が残る初演だが、その根拠は繰り返された喝采やアンコール、会話帳に残るベートーヴェン周辺の対話におかれており、「ベートーヴェンの愛好家ばかりが騒いでいた」という否定的な証言もある。ソプラノソロのゾンタークは18歳、アルトソロのウンガーは21歳という若さに加え、男声ソロ2名は初演直前に変更になってしまい(バリトンソロのザイペルトが譜面を受け取ったのは、初演3日前とされる)、ソロパートはかなりの不安を抱えたまま、初演を迎えている。さらに、総練習の回数が2回と少なく、管楽器のエキストラまで揃ったのが初演前日とスケジュール上ギリギリであったこと、演奏者にはアマチュアが多く加わっていたこと(長年の戦争でプロの演奏家は人手不足だった。例えば初演の企画段階で� ��「ウィーンにはコンサート・ピアニストが居ない」と語られている)、加えて合奏の脱落や崩壊を防ぐためピアノが参加して合奏をリードしていた事実から、演奏の完成度には疑問の余地がある。過去1809年の『合唱幻想曲』の初演では実際に合奏が崩壊し、最初から演奏し直している。

さらに5月23日に会場をより大きなレドゥーテンザールに移して催された再演は、会場の半分も集客出来ず大失敗であった。ウィーンの聴衆の受けを狙ってロッシーニのオペラ・アリアを入れた事、昼間の演奏会だったので人々がピクニックに出かけてしまった、などの理由を述べた書き込みが会話帳に残っているが、新聞批評(「聴衆に深い感動を与えた」という内容だが、記事そのものは初演から2か月近く経ってようやく掲載された)に載っているような傑作とは当時の聴衆の多くが見なしていなかったことの表れでもあろう。

なお初演の収入は会場使用料や写譜代金などを差し引いて420グルデンという数字が伝えられている。シンドラーの「2000グルデンは儲かる」という話をはじめとして「成功間違い無し」と周囲に吹き込まれて開いた演奏会でもあり、この金額はベートーヴェンには明らかに少なかった。再演ではあらかじめ1200グルデンがベートーヴェンに支払われている。後年プロイセン王への献呈の際、ベートーヴェンに指輪が贈られたが、鑑定させて300グルデンと判るとベートーヴェンは安過ぎると怒り、売り払ってしまった。

その後、ヨーロッパ各地で何回か演奏が試みられたものの、結果はことごとく失敗に終わった。そして「駄作」「演奏不可能」という評価が定着してしまう。 また、第4楽章がその前の三つの楽章に比べて「異質」であり、「長大すぎる」ということで演奏機会に恵まれなくなった。実際にベートーヴェンも初演の後、第4楽章を器楽のみの編成に書き改める事を計画していた。

初演以外の演奏が失敗に終わった理由の一つに、当時のオーケストラの演奏水準の問題があった。ベートーヴェンの時代は、プロの音楽家養成機関が未整備で、宮廷オーケストラの類を除くと、「プロ・オーケストラ」は民間に存在しなかった。 民間のオーケストラは、宮廷楽師や独学のアマチュアなどが混在したもので、演奏水準が低かったのである。現在でも難曲として有名な第九が、こういったオーケストラで巧く演奏できるわけがなかった。

[編集] パリでの部分的再演

世界初の音楽学校として設立されたパリ音楽院の卒業生フランソワ・アブネックは、パリ・オペラ座管弦楽団のヴァイオリン奏者として活躍した後、指揮者に転向し、1828年、母校にパリ音楽院管弦楽団を創立した。 体系化された音楽教育を受けたメンバーによるこのパリ音楽院管弦楽団は、「比類なき管弦楽団」「ヨーロッパ最高水準のオーケストラ」という評判を勝ち取る。 そのアブネックは、ベートーヴェンの信奉者であった。ベートーヴェンの交響曲の楽譜を徹底的に分析し、自身が指揮者をつとめるパリ音楽院管弦楽団演奏会のメイン・プログラムに据えたのである。

2012年5月19日土曜日


どんな朝にでも 変わりなく

風がそっと吹いてる

満ち足りない両ポケットに

あともう少しの春を待とう

絵に描いたような白い太陽さ

僕の陰を伸ばす正体は

言わないで

君にもわかるだろう?

前を向けば

君の待つ方へ

風が野を駆けるような

時にはうつむいても

滲んだ絵は少しずつほら 色を成してゆくから

どんな道にでも 花は咲いて

風はそっと吹いてる

2012年5月18日金曜日


【音楽】ビヨンセがライブ中に階段から転落し負傷、ファンに動画アップの自粛を求める[動画あり]

1 :ルーガφ ★:2007/07/27(金) 07:19:55 ID:???0

[2007年07月26日]

 全米ツアー中のビヨンセ(Beyonce)だが、フロリダ州オーランドでの公演中に階段から転落、負傷したというニュースが入ってきた。

 24日に開催されたライブ中に起きたハプニングで、
ヒット曲"Ring the Alarm"を歌っていたビヨンセは階段を下りようとしたところで足をすべらせ、約12段ほどをうつぶせの状態ですべり落ちた。
ほぼ顔面から落ちたと言われているが、彼女はすぐに立ち上がり、マイクを拾ってパフォーマンスを続けたという。
数ヶ所に打撲による傷を負ったということだが、軽傷で済んだ模様で、その後も笑顔でステージに立った。

 ビヨンセはこの転落後、コンサート中にコメント、ファンに対して「転落シーンの映像をYouTubeにアップしないでほしい」と訴えた。
彼女の訴えに反して既に複数の動画がアップされているが、Sony BMGの要請によりYouTubeは迅速に対応、該当する映像を次々に削除している。

 同じデスティニーズ・チャイルド(Destiny's Child)のケリー・ローランド(Kelly Rowland)は
今月初めにナイジェリアでのパフォーマンス中に倒れ、衰弱を理由にライブを中断していた。

■転落シーンの動画(低画質)[00:36頃に転落]
※近日中に削除される可能性大

■ビヨンセ オフィシャルサイト(音声注意)

2 :名無しさん@恐縮です:2007/07/27(金) 07:20:16 ID:pRT0DiCcO

2

3 :名無しさん@恐縮です:2007/07/27(金) 07:22:04 ID:SPBRcf5E0
今日はペッパー記念日です
みなさん一緒に御唱和願います
(もうわかりますね?)

○○さんに○○○○イン!

4 :名無しさん@恐縮です:2007/07/27(金) 07:22:21 ID:u8xYNc21O

ビヨンセが要請

5 :名無しさん@恐縮です:2007/07/27(金) 07:22:47 ID:8xUeHxMRO

ライブ録画はありなのか。

6 :名無しさん@恐縮です:2007/07/27(金) 07:23:00 ID:3ZfCCyqtO

ビヨンセックス

7 :名無しさん@恐縮です:2007/07/27(金) 07:23:07 ID:lOR41qtE0
>>3 だから何?ビヨンセファンって馬鹿ばっかりだね
8 :名無しさん@恐縮です:2007/07/27(金) 07:23:27 ID:mc0I1Yw10

ホントにこけてるな

9 :名無しさん@恐縮です:2007/07/27(金) 07:24:47 ID:H0YASkq80

うpしないでっつーか・・
撮影は黙認状態なのかww

2012年5月16日水曜日



UNDINE、ニコニコ動画で発見。これがもう。とにかくもう。すっかりハマりましたのですよ。

なんか'90年代にちょっとしたエスニックブームみたいなもんがあったんだったか? (エスニックとか民族音楽とかいう概念も、当時はまだ西欧からみた異文化って捉えだったんだと思うけど。クラシックだって西洋の民族音楽のひとつじゃろ、って考え方だよな、今は)喜多郎とか姫神とかああいう系統もこの時期隆盛じゃなかったっけか。
つか、わたしゃ高校〜大学時代をおおたか静流と民族音楽で過ごしていたことに今さら気づいてみた。いや、実はマイケル・ジャクソンもほっとんど聴いてなくってなんか気後れする昨今なのですわ。

このサントラはvol.1もvol.2も別に民族音楽って訳ではないんだけれども、胡弓とかケーナとかタブラとか、西欧ポップスではあまり使われない楽器が使われてみたり、非西欧な旋律・音階な編曲とかがすっごく印象的でハマったものです。

今聴くとなんか惜しいのは、一曲ずつが短くって細切れな印象があること。そのせいで曲の情感が極端めに強調されて、演出が勝ち過ぎな効果音っぽい感が否めない。
何曲かおおまかなテーマでゆるやかにまとめて、交響曲みたいな仕立てになってもおもしろかったかもなーと思った。

1. VOICE OF TIME~古歌~(チャイニーズ・ヴァージョン)
しっとり胡弓のイントロから一転、じゃらんじゃらんの鈴、鐘、太鼓打ち鳴らしな、賑やかお祭り曲。楽しいんだけど、そこはかとない哀愁も漂う。なんつーかね、もののあはれっての?

2012年5月14日月曜日



 最近、ヒゲについて考えることが多くなりました。しまけんさんのサイト「活きの良いヒゲあります」に影響を受けているという説もありますが、それ以外にも、数年ぶりに電気シェーバーを新規購入したことも関係ありそうです。

 …そんなわけで皆様こんばんは。最近かなり壊れ気味のwinterです。
 まあネコかぶってた本性が出てきただけという説もありますが。ネコ好きな女の子はすべて可愛い。これはある意味真理です。それを「しんり」と読むことも「まり」と読むことも可能なわけで。我ながらかなり飛ばしてますね。最初から。大丈夫か。

 それはともかく。

 ヒゲ問題は、多くの男性にとって避けて通れないハードルのひとつ。
 個人差が大きいので一概に語ることは� �きませんが、たいていの男性はその処理のために毎朝数分間、確実に時間を割いているわけです。仮に毎朝5分間×ウィークデイ5日間ヒゲを剃ったとした場合、その所要時間は1年間(52週間)では約1,300分≒21時間強に達します。なかなかバカにできない時間です。毎日毎週毎月毎年恐らく死ぬまで続くのです。死ぬ直前になって、『ガッデーム! ヒゲ剃りに費やした俺の貴重な時間を返してくれ!』と泣き叫んでも時既に遅し。Pink Floyd が『狂気』収録の "Time" で歌ってたとおりなのです。

 …あれ? 今日はプログレ者ネタの日じゃないのか。

 ま、女子の皆さんが毎月何かとたいへんなのは理解しますが、男子もそれなりに毎日たいへんであることもご理解いただきたく。でもどっちがよりたいへんなんだろうか。毎月たいへんでありながら、毎日たいへんな方も体験していらっしゃる悲惨なお方がいらしたらぜひ掲示板までカキコいただきたく。しかしそれってたいへんというよりへんた…



 全然本題まで辿りつかないですね。

 購入したのはオランダに本社がある Philips 社の Philishave "HQ6871" です。
 ちょっとヒゲ学をかじった皆さんならよくご存知のとおり、電気シェーバーには大きく2つの系統があります。

 (1) 往復式 :薄い外刃の下で内刃が往復運動を繰り返すもの。
 (2) 回転式 :内刃が回転運動するもの。

 これには一長一短があり、実際に、電気シェーバー市場を二分するブランドである BRAUN 社が往復式を、Philips 社が回転式を採用していることからも理解できるところです。BRAUN 社がドイツ、Philips がオランダの会社であることを念頭に置くと、なかなか味わい深いものが。質実剛健に往復運動を繰り返すドイツ人 vs くるくる回転運動してさまよえるオランダ人

 そうじゃなくて。

 BRAUN 社の思考は、外刃(網刃)を極力薄くしてヒゲを根元まで取りこみ、高速運動する内刃の往復で深剃りを目指すというもののようです。よくCMでやってますね。「驚きました。今朝剃ったばかりなのに…」  しかし、ケチをつけるならば、往復運動にはどうしてもムラが発生します。つまり、刃の中央部と両端部では運動速度が異なり、一定の剃り味が得られるわけではありません。また、網刃を限界まで薄くするということはすなわち皮膚まで取りこむ可能性があるということです。しかも薄い網刃は耐久性に難点があり、乱暴に扱うとしばしば破損します。事実、BRAUN はよく剃れるんだが血が出た、とかケガをした、という話も皆無ではありません。

2012年5月12日土曜日


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2012年5月10日木曜日


(6)感性を身につける10の方法 感性を現実のなかで磨き活かす方法

52 フットワークを軽くしよう

 この章からは、これまで述べてきた感性の働かせ方を実際にどのように高めていくのかについて、触れていきたい。

○万歩計をつけ、毎日八千歩、歩く
 まずは、感性の源泉である命の働き、生命力からの生き生きした力をとり出そう。それには、明るい心と健康な体が欠かせない。特に心の問題は大きい。それは、体力、集中力が支えている。足腰が衰えないように毎日、たくさん歩こう。万歩計をつけてチェックするとよい。それに頼るのでなく、自分の勘を働かせて、昼夕に何歩、歩いたか、あててみよう。
 会社をジムと考え楽しもう。歩数をどうすれば稼げるか、考えよう。食事も遠いところへ行こう。できるだけ階段を使おう。まわりの人の三倍、歩くことを心 がけたい。目標は8千歩、できたら1万5千歩だ。時間さえあれば、足踏みでよいから、体を動かそう。感覚を感じる力をいつも感じていよう。そして週末は、山登りかハイキングで、運動不足を一気に取り戻そう。足の裏に地球を感じよう。家にいるときは、裸足で直接、床を歩こう。大地に触れられる機会があれば、理想的だ。夏でなくとも、砂浜に行って裸足になるのは、とてもよいことだろう。

 感性は、感じることなのだから、このようにしてなるべく体に直接、刺激が入るようにするとよい。五感から入れるなら、裸で無防備な状態が一番よい。外出時もできるだけ薄着をしよう。厚着では、どうしても身を守るようになる。動かなくなる。手袋でもはめたら、それこそ身動きがとりにくくなる。
 お年寄りの疑似体� ��をするのに、身体機能が衰えた状態として、そういうものをたくさん着込んだことがある。五感が鈍くなるのが、老いともいえる。それを、あえて鈍くする必要はない。老いないために、感性を高めていよう。
 肌を出すことを意識する。そういう状態で行なう太極挙、寒風摩擦、水泳なども効果的である。サウナや水風呂も刺激的だ。シャワーでも冷水で似た体験はできる。滝に打たれているイメージで、ふんばろう。若い子が裸で寝たり、はだしで歩いたりするのは、なまじ理由のないことではない。青竹を踏むのも、クルミを握るのもよい。

 最近、朝起きても、窓さえあけない人がいる。空気を入れかえることは、気を流すことであり、それさえめんどうがるようでは、鈍いとしかいいようがない。炭鉱にカナリアを持って入るのは、ガスを察知するからであるが、人間であっても鋭い五感をキープしたいものである。なまぐさは、感性の敵である。
 日常的にはいつでも、どこでもくり出せるように、行動しやすい服装にし、カバンも軽くしよう。好奇心をもち、今一歩、踏み込みたいときに、踏み出せるために、身軽であることは大きな条件だ。そして、野次馬根性で、何でもみてみよう。行なってみよう(ミーハーは感性のあるものとは異なるが、その好奇心と旺盛な行動力は見習いたいものだ)。
 会社以外では、できるだけラフな格好で過ごそう。自動 車より、自転車がよい。靴は疲れにくいものにしよう。ウォーキングシューズがお勧めだ。そして、興味、関心をもったところへ、実際に足を運んで探検してみよう。
 そのためには、行動を促す情報が必要だ。日頃から使えそうな情報を切り抜き、ストックしておこう。雑誌や新聞を切り抜き、次のようにエリア別にファイリングしておくとよい。

1.地元(住んでいるところ)
2.東京(仕事場の近辺)
3.一泊二日で行けるところ
4.遠方の観光地など(国内・海外)

2012年5月9日水曜日


1891年に指揮者、オドア・トーマスによって創設されたシカゴ・オーケストラはアメリカで3番目に古い由緒正しい楽団。1912年からその名を現在の"シカゴ交響楽団"(CSO)と変え、クーベリック、ライナー、ショルティ、バレンボイムといった名指揮者達のもとで演奏技術と表現力を磨き今に至っている。現在では全米No.1オーケストラの一つとして広く知られている。

またCSOでは交響楽団の他にも世界中から著名なミュージシャンが招かれて演奏する。中にはフラメンコ・ギタリストやボサノバ・プレイヤーなどが来ることもあり、素晴らしい音響の中でじっくりと音楽を楽しむ事ができる。

一般にはあまり知られていないが、実際に演奏の始まる一時間前にGrainger Ballroomにて行なわれる『Pre-concert conversation(演奏前の座談会)』に参加すると実際に演奏家達に会い、彼らの音楽についてももっと詳しく知ることが出来ます。『Pre-concert conversation』のスケジュールに関しては312-294-3000 にて必ず確認してからご参加ください。

チケットの交換
シーズンチケットを持っている方(定期会員)以外はチケットを返却したり交換ができないことになっています。

グループチケット
10人以上のチケットを購入する場合に割引が効く場合があります。グループチケットについて詳しくは312-294-3040 までお問い合わせください。

学生・シニアチケット
学生やシニアの方は割引チケットを購入できる場合があります。割引チケットは空席状況とマネージャーの判断によって可能になります。身分証明が必ず必要ですのでお忘れなく。また、一人の身分証明につき一枚のチケットとさせていただいております。詳しくは312-294-3000にてお問い合わせください。

2012年5月7日月曜日


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2012年5月6日日曜日



【解説】

 1984年、イギリス北部の炭坑町。11歳のビリーは炭坑労働者のパパと兄トニー、おばあちゃんと暮らしていた。ある日、ビリーの通うボクシング教室のホールにバレエ教室が移ってきた。ふとしたことからレッスンに飛び入りしたビリーは、バレエに特別な開放感を覚えるのだった。教室の先生であるウィルキンソン夫人もビリーに特別な才能を見出した。それからというものビリーはバレエに夢中になるのだが……。バレエ・ダンサーを目指す少年の姿を描いたS・ダルドリー監督の長編第1作。

【ユーザー評価】

下記フォームからあなたのこの作品に対する採点を投票してください。

【受賞履歴】

(■=受賞、□=ノミネート)

【レンタル】

2012年5月3日木曜日


小説や映画などで「悪役だけどビミョーに憎めない」キャラクターが登場することはよくありますが、どうやら現実にも結構いるみたいです。今回はそんな「お人好しな泥棒」たちのお話をご紹介します!

1. 努力までは盗まなかった泥棒

最初の例はスウェーデン。とある大学の先生のノートパソコンが盗まれてしまいました。パソコンはまた買えば良いとしても、その中にはお金では取り戻せないもの、つまり10年分の研究に関するデータがあったのです! バックアップを取っていなかった先生は失意のどん底……。

しかし盗難から一週間後、そのデータが入ったUSBメモリが届けられたのだそうです。ああ〜良かった! でも、データを移し替えるのには結構時間がかかったはず。わざわざそんな手間をかけるなんて、学問を尊重したんでしょうか……? 犯人は不明のままですが、とりあえずホッとできた先生。今度からはバックアップ取ってくださいね。

2. 子供には勝てなかった泥棒

ドイツのとある民家に、武装した泥棒が侵入! 物音を聞きつけて2階から降りてきた子供達が見たのは、自分たちのベビーシッターが銃を突きつけられているという恐ろしい現場でした。

こんなの大人でも泣いちゃいそうですが、ここで子供達はなんと「これをあげるから許して!」と、泥棒に自分たちのお小遣いを差し出したというのです! 勇気ある!

そんな子供達の姿を見た泥棒、恥じ入ってしまったのか、何も取らずに逃げていったそうです。

ちなみに子供達は2人とも7歳以下だったとか。すごいな〜!

3. 警察に協力してしまった泥棒

オーストラリアのスーパーの駐車場で、窓をきちんと閉めていなかった車を発見した泥棒。「しめしめ」と車内から携帯電話や財布を盗み出しました。

2012年5月2日水曜日


小沢一郎人格破壊攻撃は破綻しているが・・・
いまだに、事実を見極めずに、
小沢攻撃に金魚の糞のように追随している人々は多い!!
それは論拠を無くした、
単なる好き嫌いの感情論だ!!

 まあ、好き嫌いはどうしようもないから、どうぞ勝手にと言う他はないが・・・・・。

 なら、一人静かに感情を納得させて居れば、別に問題はないのである。ところが、時々、屁理屈を並べて広言するから、世迷い事を拡大させる騒音となっている。

 これがマスメディアに煽られた所謂『B層』と言われる人々ならどうしようもないが、そうでもない人士にもそれがいるから厄介な話だ。

<何で、俺が悪く言われるのかなあ???ワカンナイ!>