新人OLさんの枕映画草子
監督 フィル・アルデン・ロビンソン
原作 W・P・キンセラ
脚本 フィル・アルデン・ロビンソン
撮影 ジョン・リンドレー
音楽 ジェームズ・ホーナー
出演 ケヴィン・コスナー レイ・キンセラ
エイミー・マディガン アニー・キンセラ
ギャビー・ホフマン カリン・キンセラ
レイ・リオッタ シューレス・ジョー・ジャクソン
ティモシー・バスフィールド マーク
ジェームズ・アール・ジョーンズ テレンス・マン
バート・ランカスター アーチボルド・グレアム
ああ…泣いた泣いた。
再度見て泣いて。また泣いて…。
あきもせず、泣いていたのでした。
「父との息子の心の和解」がテーマになっていますが、
そんな経験のない私は、このテーマの昇華過程で用いられるノスタルジーでぼろ泣きでした。
【 テーマ 】
まず、この作品のテーマはなんでしょう?ある人は「息子が家族を持って、捨てた去った父の存在を再認識」またある人は「父との和解」。私もどちらかというと後者だと思います。
【 解決方法 】
ノスタルジー(だれもがかつて夢見ていた時代)に惹かれ、出会い、なにを思うのか?
死への退屈
若いときになら親へ抱くだろうの感情の1つ
「なんで、夢に向かって努力しないの?」
子供のころは、たくさん夢をみたものでした。あれになりたい、これになりたい。あれもできるかも、できるさ!といいながら、いろいろ試して、無理して…そんな思い出は一度はあるのではないでしょうか?
もちろん、親世代もそんな時代はあったもの。しかし、子供は親にとっては「現実」で結局、そんな夢を追っている暇があれば、1円でも多く稼がなくてはならなくなる。そんな素敵な親に向かって、残酷にも勝手にものを思うのが子供ってものなんじゃないか?とつくづく思うわけです。
【 ストーリー概略 】
舞台はアイオワの広々としたトウモロコシ畑。ある日「それを作れば彼が来る」という"声"を聞いた主人公のレイが、自身の畑を潰して野球場を造り始める。その野球場は昔の大リーガーが集まり、プレーをする夢の場所。
周囲から奇怪な目で見られながらも、その謎の声に導かれながら、出会い、最後に父の別の姿を改めて認識するまでを描く。
【 構成について 】
この話は、淡々と流れていくようなテンポで進んでいきますが、その中で拾わないと理解を損なう情報は多いと思います。(しかし演出等などで泣けるようにできている)まず、ストーリーのポイントを整理してみます。
【 要点(キャラクターの動機と昇華の整理)】
劇中に出てくるキャラクター3人が、過去のそれぞれの「悔い」とどう向き合っていて、どう作中で昇華されていくのかということ。それぞれの共通点は、野球。それも、幽霊としてでてくるシューレス・ジョーの時代を知っていて、なんらかの形で執着があるということです。
衝撃のギャグいたずら
それでは、それぞれの持っている悔いの整理
.譽ぁ 壁磴量瓦鬚△らめた姿しか知らない→親父のようになりたくない)
◆.謄譽鵐后Ε泪鵝 兵磴い海蹐隆岼磴辰討い燭箸靴討發△襦崗霰」を失っている)
アーチボルト・グレアム (若いころにリーグ選手手前までいくがチャンスをものにできず断念した過去)
ストーリーの展開の動機は「レイの親父のようになりたくない」が謎の声に従ってしまうことによる。
そして最後には、レイは父の清々しい姿を見て、父を再認識し、テレンスは幽霊たちに招かれ、改めて各情熱をもやし、グレアムは若いころの姿で現れ、過去の夢を体験する。
一言でいえば、だれもがもつ「願い」や「かつて実現できなかった思い」を引っ張り出して、実現してしまうお話。しかし、その夢とも別れがある(グレアムのストーリーにて)。
「自分の夢が叶う」という夢もみれるし、「自分の夢が遠ざかっていった」かつての自分ともむきあえてしまう。そんな自己実現にまつわるノスタルジーが、それぞれどの人にも存在して、それは、すべての人が惹かれ、涙する心の引き出しなのだと、認識してしまう作品なのでした。 (ああ・・・ティッシュティッシュ!)
ウールの恐怖が低下
【 ノスタルジー論 】
ノスタルジーは単に"懐かしむ"ものが大多数な気がする。(気のせい?)
例にだしやすいのが、クレしんの「おとな帝国の逆襲」。オトナ帝国のノスタルジーは大人の回想。シンプルで
スタンダードで泣ける。ただ、この作品の素敵ポイントは「未来を生きたい」という子供の心の対比。
観客は、純粋に過去を懐かしむ大人と、そんな風に今をなつかしめるかしら?と思う子供に別れると思う。小学生時代だった私は、純粋に「ああ、そんなに素敵な過去になるよう今を生きれるものかしら」と思ったものでした。
ただ、ここでのノスタルジーはあくまで「邁進していた輝いていた自分」を象徴したノスタルジーではないというとこ。「フィールド・オブ・ドリームス」のノスタルジーが本当に素敵だと思えてしまうのは、「情熱を燃やしていた私」に焦点があたった「自分史上の輝きへのノスタルジー」。どちらのノスタルジーをとるかといわれると、やっぱり本作のノスタルジーのほうがが愛しいです。
じゃあ、ニューシネマパラダイスは?というと、「自分が愛し続けたものを愛し、自分で形にし続けてきた人の最高のノスタルジー」なんだと思います。あの編集と音楽で泣けないわけはないのですが(もち嗚咽必須です)、トトのような人生を送ってきたわけではないので。単に、主人公の人生に同調しているだけです。身をもって味わうには、自分の夢を実現するため、あくせく努力した原稿用紙の枚数と、そこにちりばめられた涙じわ、感情の吐露の嵐の数によるのだと、自覚しています。
なので、私の場合「フィールド・オブ・ドリームス」のノスタルジーで動き、「ニューシネマパラダイス」のノスタルジーを目指すという感じなのです。
ノスタルジーといっても、どこの感情に焦点をあてるのか?そこの絞り方一つで 受け手にこれからをどう生きたいと思わせるかを選ぶことができる、よい見本として本作はいいなぁと思います。
【省略技術について】
この作品は原作があり、そちらの小説には「シューレス・ジョー」について多く述べられているようです。しかし、映画では、超がつくほどにカットされている。
野球マニアな方には結構、説明してほしいのに!!って思う人もおおそうと思います。でも、あくまで野球場にあつまる周囲の人の心の変化が問題なので、ジョーやかつての大リーガーの登場などは大々的にはやっていません。
ジョーたちはあくまで、象徴でしかなく、ストーリーでハラハラするべきは、メインのキャラクターの心理描写のはず。レビューなどで、「シューレス・ジョー」が解らないと…とか書いている人は、確かにわかったほうが理解の旨みはあるが、ストーリーで一番泣ける点を見逃してしまいます。理屈や知識によりがちな人は結構損していそう。単に歴史的には「エイトメン・アウト」のほうがわかりやすいよの一言くらいでいいのにとか思っちゃう。
味を多くしてもまずくなるだけ、シンプルに、メインの味を強調するような脳内ビジョンを心掛けていきたいものです。
<備忘録>
・ 冒頭ナレーション(洗練された語り口・聞き心地はいいが情報量処理に少し難)
・ テレンス・マンは原作ではサリンジャー(なのでとっても60年代)
>とうもろこし畑がライ麦畑。
ライ麦>ライ麦畑であそんでいて、崖から落ちそうな子を助けるような人になりたい
こっち>トウモロコシ畑で、崖からおちそうな(自分の)心をつかまえたい(?なんか変だぞ)
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